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1.人生が変わった25歳のクリスマス

2006年9月22日掲載

私は、6歳の時に突然小児性糖尿病を発症し、インシュリン注射を打つことを余儀なくされましたが、それでも、高校までみんなと同じように学校生活を送りました。

高校卒業後は、体調を考え、無理のないようアルバイトをしていました。でも、仕事をするのが好きだったこともあり、掛け持ちでやっていた時期もあったほどです。そんな中で、病院と関わる機会が多かった私は、医療事務の仕事に興味を持ち、22歳の時に資格を取得しました。そのかいあって、クリニックの受付の仕事をすることができたのです。2年程働いたのですが、体調を崩し、埼玉医大で調べたところ、眼底出血が判明しました。
好きで始めた仕事でしたが、目の治療をきっかけに、仕事を辞めざるを得なくなってしまったのです。

今までも、1年に1回程度眼科へ通っていました。異常もなく、視力は1.5あったので、まさか自分が見えなくなるとは思ってもみませんでした。

治療は、レーザー治療から始まりました。とても痛くて、つらいものでしたが、失明しないためにはやらなくてはいけません。外来で治療を続けましたが、それでも段々と物が見えにくくなったり、本を読むのが大変になったりしていきました。

その後、「手術しなくては失明する」と言われ、25歳のクリスマスに手術。ところが、翌日になり眼帯を取っても真っ暗だったのです。あまりに突然のことで、見えなくなったことを実感する間もありませんでした。しかも、手術の合併症で緑内障を併発。緊急でバイパス手術もしましたが、眼圧が下がらず、冷凍レーザーなどの治療をして、なんとか病気の進行を食い止めることが精一杯でした。
術後、間もないこともあり、起きていると目が痛くて毎日泣いていました。このころのことは、痛みとつらさであまり覚えていません。

そのまま退院し、1年程は左目を頼りに生活していましたが、「右目は後手後手になっちゃったから」と左目は26歳の誕生日に手術。やはり、翌日には真っ暗で、再度全身麻酔で6時間にわたる大手術をしたのですが、網膜に貼りついた血液は取れず、今度は本当に失明してしまったのでした。

見えないことがどういうことなのか、これからどうしていけばいいのかわからず、悩むことさえできなかったのです。

プロフィール

写真:吉田さん

吉田 有紀子/よしだ ゆきこ
埼玉県川越市生まれ。
6歳で小児性糖尿病を発症。
26歳で全盲になり、失明してからは生活訓練や職業訓練を受け、現在、LOHAS事業を活動目的としているNPO法人にスタッフとして所属。他に、視覚障害者のピアカウンセラー、視覚障害者に対するパソコンサポート活動などを行っている。


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