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「ゆうゆうゆう」は、NTTが障がい者の雇用促進を目的に設立した「NTTクラルティ株式会社」によって運営されています。

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1.逃げの軌跡

2006年8月11日掲載

社会福祉の仕事に関わって、今年で30年になります。あっという間に30年というのが率直な気持ちですが、何故、この道に進むことになったのかを考えると、自分にとっては紆余曲折があってのことでした。

1970年、大阪万博がありましたが、もうひとつ、70年安保という側面もありました。しかし、69年、70年と運動は下火になっていた頃です。
私は、70年を高校3年で迎えました。所属していた新聞部も後輩に代替わりしていましたが、他校の「高校闘争」メンバーとも親しくしていた時代です。
こんな生活をしていましたので、学業は「言わずもがな」の世界です。浪人するのが、当たり前のように思っていました。なんと、親不孝な子どもだったことでしょう。

当然の結果、浪人。予備校に通いましたが、すっきりしない毎日が続き、生来のひねくれの気持ちが持ち上がってきました。
そこで受験したのが、どういう訳か「公務員試験」。
合格したら、働きながら大学いくのも「自分の道」と納得し、12月採用で農林省 家畜衛生試験場(現在は独立行政法人 動物衛生研究所)に就職し、4月からは大学の夜間部に通っていました。

このまま、生活していれば特に問題はなかったのですが、大学では学費闘争、職場では、現在の筑波研究学園都市に移転という状況。
私も先輩にならって、「筑波移転反対」を表明していました。
ところが、私の働いていた部署は、「国有財産の管理」を中心に行うところで、私は筑波研究学園都市への移転作業そのものを行っていました。まだ、20歳にも満たない少年です。悩みました。純粋と言えば、聞こえは良いのですが、面倒くさくなったと言うほうが正解だったと思います。

高校時代も、福祉関係の仕事は、ある程度の意識はありましたが、それほど強い希望ではなく、受験の際の選択肢にはありませんでした。それが、仕事から逃げようとする名目には、自分に対しての言い訳とともに、親へ説得しやすいと考えたのです。
親に、バイト中心に生活するからと拝み倒し、仙台の福祉系大学に入ることになりました。こんな、いい加減な動機が社会福祉に関わるきっかけなのでした。
次回は、母が「うつ病」で自殺寸前になり保護入院した時の、医療と福祉への「想い」をつづってみたいと思います。

プロフィール

写真:荒木さん

荒木 秀隆/あらき ひでたか
埼玉県社会福祉事業団 皆光園(身体障害者療護施設) 副園長

1953年 新潟県生まれ
高校卒業後、農林省及び中央大学2部を経て東北福祉大学卒業
1977年 埼玉県社会福祉事業団入職
コロニー嵐山郷、知的障害者更生施設あげお、児童養護施設、障害者交流センターを経て現職
障害者交流センターにおいて、障害者パソコン講座等をボランティアとともに立ち上げに関わる。


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