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「自分ができないことはできなくてもいい」と認めることによって、チャンスが生まれる。 1/4

2005年11月1日掲載

「障害があろうとなかろうと、どんな環境で生活していようと、自分らしく生きることができる」というメッセージを伝えている、「笑顔がいいね」代表、紺野大輝さんにお話を伺いました。

みんなと違うことが嫌!

写真:笑顔を浮かべて語る紺野さん

聞き手:

はじめに紺野さんの障害について教えてください。

紺野:

私の障害は、脳性まひによる脳原両上肢機能障害(のうげんりょうじょうしきのうしょうがい)といいます。生まれた直後に、医者から「この子は一生歩くことができません。」と言われたのですが、その後、訓練をすることによって、奇跡的に歩けるようになりました。

聞き手:

子どもの頃は、どのように過ごされましたか?

紺野:

幼稚園の頃から、周りの友だちと同じように何でもやっていたので、障害のことを意識することなく過ごしていました。でも、形は同じでも内容はちょっと違います。例えば、北海道出身なので、冬季にスケートの授業がありましたが、私は一刃のスケート靴では滑れないので、特別発注した二刃のスケート靴で授業に臨んでいました。でも二刃だと滑るというよりは、歩くような感じになります。友だちは、トラック1週を2分で回れるのに、私の場合は一周するのに30分かかっていました。マラソンでは、ゆっくりでしたが何とか全部走りきっていました。周りの人の支えもあったので、小学校時代は本当に楽しかったですね。

中学校も普通学校に通いました。でも、「この子は、障害があるけど、頑張っているのね。」というように見られたり、「一年間がんばった人」として表彰されたりするのがとても嫌でした。歩き方やしゃべり方を真似されるなどのいじめにあったこともあります。ただ、卓球部という居場所があったので学校には通えました。

高校ではよく勉強しましたね。小さい頃から親に「あなたは、障害者だからいい大学に入って公務員になるしか生きる道はない。」と言われていたので、塾にもいろいろ通っていました。

聞き手:

親から「公務員になるしか生きる道がない。」といわれ、反発はなかったのですか?

紺野:

そう簡単に決めないでくれと思いつつ、公務員は自分の道なのかなぁとも思っていました。でも、一人暮らしを始めた大学時代は、個別指導塾の講師のアルバイト、旅行業界の国家試験の勉強、ホテル経営講座の勉強と、寝る間もなくいろいろなことをしていました。よく、体力が続いたと思います。

聞き手:

その元気の原動力はどこからくるのでしょうか?

紺野:

小さい頃から、親に何でもできるようになるまでやらされたという経験からだと思います。夜、学校のグランドで走る練習をさせられたり、テスト結果が悪ければ、できるようになるまで勉強をさせられたりしました。また、私は行動することや、何もないところに自分で道を作っていくことが好きなのです。人生の終わりの時には、やりたいことは全部やり尽くしたので悔いはないと思いたいのです。あの時にやれば良かったと後悔したくありません。


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