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「ゆうゆうゆう」は、NTTが障がい者の雇用促進を目的に設立した「NTTクラルティ株式会社」によって運営されています。

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1.海外旅行の移り変わり

私も妻も旅行業に従事していました。それも、海外旅行が主でした。私自身は、海外旅行の添乗は年に数度のみでしたが、妻は添乗専門でしたので、20年近くの経験を通して、世界の主な国を回り、様々なお客様と接してきました。

現在では、海外旅行は身近なこととなり、海外への新婚旅行や海外挙式はことさら珍しいことではありません。しかし、以前は海外旅行が制限され、だれでも自由に旅行ができたわけではありませんでした。1969年に海外への観光旅行が自由化されるまでは、仕事や視察など特定の渡航目的がなければ、一般には海外旅行は不可能でした。すなわち、海外に行ける人は外交官や商社マン、留学生などに極めて限定されていたのです。
しかし、私が旅行会社に就職した1973年ごろには、ジャンボジェット機が導入され、空の大量旅客輸送時代が始まりました。日本の経済成長の進展に伴い、外貨(主にアメリカドル)の持ち出し制限が緩和され、ますます観光目的の海外旅行に行きやすくなりました。

無論この時代はバリアフリーという言葉は一般的ではなく、障害のある方の海外旅行は考えにくいものでした。心身ともに不安がなく、経済的に余裕のある人が主体の海外旅行だったのです。

今から考えるととんでもないこともありました。
たとえば、あるパッケージ旅行での出発当日、集合場所に車いすを利用している高齢の男性とその配偶者の方、そして小学生になったばかりのお孫さんがいました。付き添いの奥様は自分も高齢のため車いすを押すことができず、お孫さんは、大人が面倒を見なければならない状態です。事前に、車いすを利用してのツアー参加という情報はなく、ご家族3名での申し込みと知らされていた添乗員はびっくり仰天。ほかに方法は見つからず、添乗員が旅行中車いすを押し、介助しながら、ツアー全体のお客のお世話もすることに。

また、高齢の方がお一人で参加をされたことがありました。今でいう認知症の傾向のある方で、旅行中にこんなことがありました。失禁など排泄管理の失敗です。ご本人にはその意識がありません。客室が汚れてホテルから苦情がでるなどの問題発生。たまらず、添乗員がご家族に国際電話をすると、ご家族は「やはり」と予期されていた様子です。やむなく添乗員が介護しながら帰国しました。言い方は悪いですが、介護施設に預ける代わりに海外旅行に参加させるという手段をとられたようなものです。

旅行会社も海外旅行をする人もまだまだ「添乗員付き団体旅行」一本やりで、試行錯誤の部分もあり、何かあれば添乗員が一手に引き受けてがんばる時代でした。 成田空港が1978年に開港するまで、東京からの海外旅行は羽田空港から出発していた頃のことです。

プロフィール

写真:久光さん

久光 定雄/ひさみつ さだお

1948年大阪生まれ。
JTB入社後、人工透析患者欧州旅行やバリアフリー旅行に関わり、55歳で早期退職。
「車椅子でハワイへ」をモットーに旅行会社を設立。

久光 加代子/ひさみつ かよこ

海外旅行添乗員を長年仕事とし、2000年冬に脳梗塞にて車椅子利用となり、最適の海外旅行目的地はハワイであることを実感する。

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