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1.蘇ったチャレンジ精神

2005年4月15日掲載

視覚障害者サッカーという競技をご存知だろうか。この競技はハンディキャップ・スポーツの祭典であるパラリンピックで開催されている競技である。私にとってこの競技の持つ意味は非常に大きい。目が悪くなる直前のころを少し振り返りながら説明したいと思う。

目が悪くなる直前の2000年には宿も決めず、ヨーロッパを旅していた。対外的にはその年の9月からの留学先の学校を訪問するという事だったが、足はやはりシーズン終幕を迎えて最高潮まで熱くなったヨーロッパのサッカーを観るためでもあった。一人旅の気楽さもあり、欧州一を決めるチャンピオンズリーグ決勝やサッカーの聖地として名高いウエンブレースタジアムでのイングランドvsブラジルなどを観戦する事が出来た。

そんな至福の時を過ごして、ヒースロー空港へ向かうべく地下鉄に乗車しようとした。地下鉄の先頭車両の上部には小さく行き先が書かれているのだが、注意深く見ていたにも関わらず、行き先を見る事が出来なかった。疲れもあって見辛いのかと思い、特に深刻に考える事も無く無事に帰国した。

それから数週間後、パソコンを使っていた時の事、マウスポインタが右上から移動しているのが見えなくなっているのに気が付いた。その瞬間、後戻り出来ない道を歩いているのだなと自覚した。

オペを行ったが、合併症を起こし殆どの視力を失うという結果になった。失望というよりも諦念が私の中を支配していった。夢だった留学やサッカー観戦ももう二度と出来ないという思いで一杯だった。

そんな中、近隣の市にあった盲学校を訪ね、音声によるコンピューターのソフトを紹介して頂いた。特にレクチャーは受けなかったが、マウスを使わないでコンピューターを操作するなどといった経験はあのOSが誕生して以来行っていない事だったが、不慣れはあるものの、情報などはインターネットなどから自由に調べる事が出来た。

これからの点字や歩行訓練は?これからの仕事は?そんな事を考えながらインターネットやメールでの情報収集をする毎日が過ぎていった。

ある日、とあるサイトに「2002年5月 視覚障害者サッカーツアー」という一文を見つける。視力の低下から1年が過ぎ、サッカーの事は頭の中から消し去ろうとしていた私だったが、興味本位で担当者の方に電話を掛けた。

「視覚障害者が行うサッカーを本格的に始動するのですが、参加してみませんか?いえ、関東ではしばらく体験会は行いません。もしサッカーをしたいのでしたら関西まで来てください」

希望者が多かった為、歩行訓練が半年待ちという状況だったので、歩行訓練など一切していないのだが、インターネットなどで杖の使い方などを調べ、自己練習を重ねながら、神戸まで向かった。

視覚障害者サッカーとの出会いは正に衝撃的であった。単純に言えばアイマスクをしてサッカーを行うという事である。今までホームで怯えながら歩いていた事が嘘のようにピッチの中の自由を味わう事が出来た。

しかしながら、ボールのコントロールは非常に難しい。ボールが足元にある場合は比較的容易だが、パスやドリブルなど、少し足元から離れると、もうボールがどこにあるか分からない。それだけならまだいいのだが、自分自身がどこにいてどこを向いているのかが全く分からなくなってしまう。それまで小学1年生からサッカーをプレーし始めて半泣き状態で練習したのはいつ以来だったかと思い出す暇も無いくらい練習に没頭した。

基本的な練習の後、練習試合をするということになった。相手チームには陸上や柔道でメダルを獲得しているツワモノが参加している。しかしながら、最初の試合は両チームにとって散々の内容といっていいかもしれない。ボールに対して選手が大勢寄ったり、味方同士でボールを奪い合ったり、といったシーンが多く見られた。

しかし試合も後半となり、相手チームの選手がボールをキープしてドリブルを行った。私のマークすべき場面だったが反応が遅れフリーにしてしまいそのままシュートを打たれゴールが決まった。

そして試合終了を告げるホイッスルが鳴った。相手チームの喜ぶ歓声が挙がる中、充実感に包まれていた。小野伸二やバッジョのようなイマジネーションに溢れたプレーは出来ない。しかし、イマジネーションを使ってサッカーが出来るのだという喜びを感じた。

しかし、試合では0-1で負け。しかもゴールシーンを演出してしまった張本人である。帰りの中の新幹線の中で考えた。もっと早く寄ってゴールのコースを消していれば。とても悔しかった。その「悔しい」というのはスポーツ的な悔しさといっていいだろう。次の試合まで練習を積み重ねて勝とう。目が悪くなってから忘れていたチャレンジ精神といったものが心の中に強く生まれた。

そして、練習を重ねこんな話が飛び込んできた。2002日韓ワールドカップを記念してソウルで韓国代表と戦おうというものだ。手元にあるのは数少ない世界の視覚障害者サッカーのビデオと、英文のルールのみ。新しいサッカー文化を創るべく、韓日戦に向けて動き出した。

プロフィール

写真:石井さん

石井 宏幸/いしい ひろゆき
1972年4月20日生まれ 神奈川県出身
2004年 日本盲人職能開発センター修了
現在はウエルストン商事(株)にて会計などを担当
日本視覚障害者サッカー協会 副理事長、パラサッカー実行委員会・代表を務めハンディキャップサッカーの普及を目指し活動している。


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